見てきたようなウソの終焉?
講釈師見てきたような嘘をつきという言葉を聞いたことがある人は多いだろう。講釈師とは講談を話す芸人である。講談とは軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して注釈を加えつつ調子を付けて語るものである。その話し方がいかにもリアリティに溢れ、見てきたように話すのであるが、実際にみてきた訳ではない。
この言葉を知ったのは、大学院を出て就職した最初の職場の上司から言われたときである。その上司はアイオノマー樹脂の世界の第一人者となっていく方であるが、高分子の側鎖で起こる現象を見てきたように絵を描き、これは見てきたように説明しているけど、見てきた訳ではないよと念押しするのだ。見てきたような話を科学の世界では仮説と言う。
さて、プラスチックの射出成形は(熱可塑性の場合)溶融した材料を金型の閉鎖空間に流し込んで行う成形方法である。樹脂がどのように流れるかによって良品ができたり不良品になったりする訳だから、流れ方を見てくれば良いのだが、金型が邪魔をして見ることができない。
射出成形において新型で成形条件を出す際にまず行うことがショートショットサンプルを成形し、順番に並べて眺めることである。これでどのように流れるかは推測できるが、見ているのはあくまで取出した後のサンプルであり、緩和や結晶化の影響を受けたサンプルである。
ショートショットのサンプルと併せて有効なのが圧力波形の観察である。これをショートショットサンプルと組み合わせると色々と流動の状況がわかってくる。今では圧力波形のデータを見ることができない成形機は無いが、圧力波形を見ることが常識になる前に射出成形を学んだ人達には波形を見ない人も多い。ご自身が見ないだけでなく、後輩にも教えていないケースもあり、宝の持ち腐れになっている現場も多い。ただし成形機の圧力波形は便利であるが、あくまでスクリューの後ろで採っている間接的なデータである。
圧力センサーを金型に取り付けることで、より「見てきた」に近づいている。金型に圧力センターを取り付けることで、溶融樹脂がセンサーの位置を通過したタイミングとそれ以降に溶融樹脂が金型を押す力が測定できるようになった。見ると言うよりは、手で触れてみるに近いだろう。
見てきたような話の究極はシミュレーションである。初期の流動解析を経験した人の中には、流動解析はどうせ合わないと思いこんでいる人も多いが、近年の進歩は目覚ましいものがある。完全三次元の取扱ができるようになり、まさに流動の様子を見ることができる。
流動解析の技術を進歩させた要素としてコンピューターによる計算能力の向上があるが、それとともに前述の圧力センサーや温度センサーによるセンシング技術の進歩が大きく寄与している。計算通りに樹脂が流動しているかどうかを計算結果とセンサーによる測定結果を比較することで、どれだけズレがあるか、どの要素を計算式に追加で反映させれば良いかがわかってくる。
ここまでの話はいずれも見てきたような話の範囲であった。しかし、いくら見てきたような話が現実に近くなったとしても見てきたような話は見てきた話にはかなわない。可視化技術によって多くのことがわかってきた。見てきたような話が事実であることが確認されたケースもあれば、今まで考えられていた現象とは違う現象が見つかった例もある。今の時代の成形加工研究において、可視化を抜きには語れないほど重要な手法になってきている。 シミュレーション技術を高度化するためにも、可視化による観測がますます重要性が増してきている。
とは言え、可視化が万能ではないことも事実である。見てことは真実であるとしても、その現象が特異的な現象なのか、一般的な現象なのかを十分に考察する必要がある。
例えば、発泡成形の可視化の場合、気泡の数が多すぎると観察に支障があるので、気泡密度が小さくなるような条件で成形したとしよう。気泡密度を小さくするために物理発泡剤の量を減らせば、発泡剤の飽和圧力が低くなり、気泡が出現するタイミングは現実の成形と全く違うものとなる。そのような動画データがさも発泡成形を一般的に語っているように独り歩きしてしまうと科学が間違った方向に進んでしまう。
また、可視化のためにはのぞき窓が必要であり、石英ガラスに触れた樹脂と金属に触れた樹脂では挙動が同じではないことも考慮して考察する必要がある。そのように可視化技術の問題点を十分理解して使えば非常に有効な手法であることは間違いない。
可視化技術、センシング技術、シミュレーション技術が進歩することで、見てきたようなウソではなく、見てきたようなホントの話の時代になってきている。